映画『国宝』
「芸」という名の地獄めぐり。スクリーンから漂う血と汗の匂いに、開始10分で窒息しそうになりました。
60秒で結論買うべき?観るべき?
GOOD
李相日監督の執念が宿る、暴力的なまでの映像強度
BAD
観客の体力を容赦なく奪う、重苦しい「間」と長さ
芸の「修羅」が、スクリーンを切り裂く
冒頭から、ただならぬ気配に圧倒されました。 美しい着物や舞台セットの話ではありません。 画面の端々にまで充満している、張り詰めた「殺気」のようなもの。
歌舞伎という、一見華やかな世界の裏側にある、ドロドロとした嫉妬や執着。 それらが、李相日監督特有の、湿度を帯びた映像で容赦なく突きつけられます。 (正直、息をするのを数回忘れかけました。酸素ボンベが欲しい)
「芸を極める」という行為が、これほどまでに残酷で、血なまぐさいものだとは。 綺麗な物語を期待していくと、確実に火傷します。 特に、若き日の主人公たちが、互いの才能を認め合いながらも、心の底で憎しみ合っているような視線の交錯。 あれは、言葉以上に雄弁な「暴力」でした。 見ているだけで、こちらの精神まで削られていく感覚。 映画館の椅子に座っているだけなのに、なぜか全身が強張ってしまいました。
3時間の「拷問」ごっこへようこそ
上映時間、長いです。 そして、その大半が、精神をゴリゴリと削られるような重いシーンの連続です。
中盤、物語が大きくうねる場面でも、安易なカタルシスは与えてくれません。 じっとりとした汗が背中を伝うような、不快指数ギリギリの緊張感が続きます。 (もう許してくれ、と心の中で叫びましたが、目は離せませんでした)
ポップコーン片手に気楽に観る映画ではありません。 これは、観客も一緒になって「修行」をさせられる、一種の体験型苦行です。 途中で時計を見ることすら許されないような、画面からの圧力が凄い。 「まだ続くのか」という絶望と、「もっと見たい」という欲望が同時に襲ってくる矛盾。 トイレに行きたくても行けない、いや、行くタイミングを完全に失うほどの没入感。 終わった後の疲労感は、フルマラソンを走った後に匹敵するかもしれません。
執念の「映像美」と、その裏にある狂気
本作の真骨頂は、俳優個人の魅力よりも、それを極限まで追い詰めた演出にあります。 美しいものを撮るために、ここまで汚泥の中を這いずり回る必要があるのかと。
| 評価項目 | 評価 |
|---|---|
| 演出の強度 | 暴力的 |
| 映像美 | 陰影の芸術 |
| 脚本 | 重厚かつ複雑 |
【解説】 光と影のコントラストが、異常なまでに強調されています。 舞台上の「光」が強ければ強いほど、楽屋裏の「影」が濃くなる。 その対比が、セリフ以上に登場人物たちの業を雄弁に語っていました。 監督はサディストなんじゃないかと疑うレベルですが、その執念が、この映画を「単なる成功物語」から引き剥がしています。
李相日監督といえば、『悪人』や『怒り』でも見せた、人間の内面をえぐり出すような演出が持ち味ですが、今回はそれが「美」というフィルターを通して行われるため、余計にタチが悪いです(褒めてます)。 着物の裾のさばき方一つ、指先の動き一つにまで、神経が張り巡らされているのが伝わってきます。 それはもはや演技指導の域を超えて、演者を極限状態に追い込むことでしか撮れない映像なのではないでしょうか。 スクリーンから滲み出る「熱気」というか「怨念」のようなものが凄まじく、観客はそのエネルギーに圧倒され続けることになります。 美しいけれど、直視するのが怖い。そんな映像体験でした。
音響が鼓膜ではなく「骨」に響く
音の使い方が、少し異常です。 三味線の音が、優雅というよりは、神経を逆なでするような鋭さで響いてくる。 役者の足音ひとつ、衣擦れの音ひとつが、計算され尽くした「ノイズ」として配置されています。
静寂のシーンですら、耳鳴りがするような圧迫感。 映画館のスピーカーが、楽器になったかのような錯覚を覚えました。 この音響設計のおかげで、安全地帯であるはずの客席まで、舞台上の緊張感が侵食してきます。
特に印象的だったのが、舞台のシーンにおける「拍手」の音です。 通常の映画であれば、拍手は称賛の象徴として温かく響くものですが、この映画ではまるで銃撃音のように乾いていて、冷たい。 主人公が浴びる喝采が、彼を追い詰めるプレッシャーのようにも聞こえてくるのです。 また、呼吸音の使い方も巧みでした。 激しい稽古の後の荒い息遣いだけでなく、静かな場面での、押し殺したような呼吸。 それが空間の緊張感を高め、観ているこちらまで息を止めてしまうような効果を生んでいました。 音響効果担当の方に、拍手を送りたい(もちろん、乾いた音で)。
「伝統」という怪物の正体
この映画は、歌舞伎の素晴らしさを説くものではありません。 むしろ、「伝統」というシステムが、いかに個人の人生を食い潰して成立しているかを暴いています。
血統、才能、嫉妬。 逃げ場のない檻の中で、互いを食らい合う獣たちの姿。 それがあまりにも生々しく、現代社会の競争原理とも重なって見えました。 「美しさ」の代償として支払うものが大きすぎる。 観終わった後、その残酷さに震えが止まりませんでした。
「国宝」と呼ばれる人間国宝。 その称号がいかに重く、そして空虚なものか。 頂点に立つ者は、常に孤独であり、何かを犠牲にし続けなければならない。 その構造は、歌舞伎界に限らず、あらゆる組織や社会に通じる普遍的なテーマを含んでいます。 伝統を守るということは、過去の亡霊と戦い続けることでもあり、新しい血を流し続けることでもある。 そんな救いのない現実を、これでもかというほど見せつけられます。 映画を見終わって、歌舞伎という芸術への敬意は深まりましたが、同時に底知れぬ恐怖も感じました。 人間が作り出した「伝統」という名の怪物は、決して満たされることなく、新たな生贄を求め続けているのです。
原作小説との距離感と「映画的」解釈
吉田修一氏の長大な原作小説を、限られた時間の中にどう落とし込むか。 これは映像化における最大の難関だったはずですが、本作は大胆な「省略」と「凝縮」によってそれを乗り越えています。
原作にある細かいエピソードや登場人物の背景を削ぎ落とし、その分、主要キャラクターの感情の爆発に焦点を絞った構成。 これには賛否があるかもしれません。 原作ファンからすれば、「あのシーンがない」「あの心理描写が足りない」といった不満が出る可能性もあります。 しかし、映画というメディアにおいては、この選択は正解だったと私は思います。
すべてを説明しようとして散漫になるよりも、一点突破で感情の濁流を描き切る。 その潔さが、映画全体の熱量を維持することに成功しています。 文字で読む「国宝」と、映像で体験する「国宝」は、似て非なるものです。 小説が「大河ドラマ」だとするなら、映画は「パンクロック」。 同じメロディを奏でていても、アプローチと衝撃度が全く違います。 原作未読の人でも十分に楽しめますし、既読の人はその「解釈の違い」を楽しむことができるでしょう。 ただ、映画を観た後に原作を読むと、補完される部分が多くて二度美味しいかもしれません。 (私はこれから原作を読み直して、さらに沼に沈む予定です)
結論:覚悟のある「マゾヒスト」専用
「綺麗な映画が観たい」「推しを愛でたい」。 そんな軽い気持ちで近づくと、確実に怪我をします。 これは、人間の業と情念の濁流に、頭から飛び込む勇気がある人のための映画です。
心身ともに健康で、十分な睡眠をとった日に観てください。 84点。 安易な感動を拒絶する、孤高の怪作です。 見終わった後、しばらく誰とも口をききたくなくなるかもしれません。 それくらいのダメージを食らう覚悟を持って、劇場へ足を運んでください。 あなたの日常が、少しだけ色褪せて見える副作用については、責任を持ちません。
作品情報

小林 祐太
TV60編集長。脚本構造と映像技術の分析に基づいた『構造批評』を得意とする。ガジェットレビューでは、スペック数値よりも『生活への定着度』を重視し、最低1ヶ月以上の実使用を経た上での評価を徹底している。
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